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吉川友梨さんのお話

中学校の卒業式の予行練習が終わったある日。全3年生の前で、英語の岬先生が、私が2年生のときの担任だった森下先生と結婚すると発表されました。みんな突然の発表に驚いていたら、

「ちょっと待った!」

当時、流行っていた「ねるとん」風に現れたのが私のクラスの副担任。みんな笑いながらも祝福しました。その後、岬先生が「先生が本当に結婚するのは大野先生です」と発表。みんな更に驚きました。大野先生は「保健室の先生」で、みんなが憧れる、綺麗で優しい大人の女性でした。おいおい、岬先生じゃあ釣り合わんやろと思っていたら、

「ちょっと待った!」

まさかの2発目にみんなが爆笑している中、現れたのが吉川先生でした。

みんなの前でプロポーズしたときの事を質問され、照れてる吉川先生を見ながら「モジモジして言ってくれないから私が言わせました」みたいなことを大野先生が暴露。恥ずかしそうにしている二人をみんなで祝福しました。卒業式の日のことは覚えてませんが、この日のこと、二人の笑顔は鮮明に覚えてます。

2003年5月20日、大阪府熊取町で行方不明になった吉川友梨さん。
当時小学4年生だった友梨さんは、現在25歳になられます。

ご両親は私が中学生だった頃の恩師です。

2003年、30歳の誕生日を迎える前に管理職に昇格し、年収も大台に乗り、人生で一番仕事ばかりしていた時期で、先生の件を知りませんでした。
知ったところで何が出来たわけでもありませんが、それでも何も出来なかったことはずっと心残りです。
だからというわけでもありませんが、友梨さんが帰ってこられるまでは、風化させないために情報を発信します。

昨年、吉川先生が新聞社に出された手記を掲載させていただきます。

15年という時間はすべての事柄を過去のものにしてしまう。
でも、私たち家族や当の本人の友梨にとっては、まったく過去どころか、たった今さっき事件がおこったような感覚です。その感覚のまま、何もできないまま、じりじりと時間だけが過ぎてきました。
なぜこんなことが起こったのか? しかもそれがなぜ、友梨なのか? まったく私には理解できません。
怒りを感じようにも、悲しいとかの感情を持つ前に、なぜ? どうしたらあの娘がかえってくるのか? いったい何がどうしたのか、どう気持ちを保っていたらいいのか、気持ちの悪い憂鬱(ゆううつ)な1日1日が積み重なって、ついに15年なんて、とんでもない時間が過ぎてしまいました。
こんな想像をしたってなんの意味もないですが、何もなければ、今頃友梨は24歳の普通の社会人。
でも、その成長した姿を想像することすらできなくて、頭の中では9歳の誕生日のバースデーケーキを目の前にして、嬉(うれ)しそうな満面の笑みで写真に収まっていた姿しか出てきません。
そしていつも最後は、私より誰より苦しい思いをしているのは、友梨本人なのだから、それを思うと私の気持ちなんか別にどうでもいいのだと
どうか、こんな理不尽なことが起こったまま、そのまま15年間もそのまま、というのを感じてみてください。あの子がどんな思いで15年間過ごしているのか、想像してみてください。そして、なにがしか、どんな些細(ささい)な情報であっても教えてください。なぜ、こんなことになってしまっているのか、教えてください。お願いします。

情報提供が難しいのは、おそらく先生もわかってらっしゃると思います。
大阪を離れた私は微力ですが、風化させないことから、何かに繋がればと願います。

どうかみなさん、情報提供や風化させないためのご協力をよろしくお願いします。

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